2025年秋、横浜高校のエースとして注目を集めているのが織田翔希投手。
最速152kmのストレートを武器に、2年生ながら甲子園でも勝ち進んだ実力派です。
そんな織田翔希さんの原点は、福岡県北九州市の足立小学校時代にあります。
- 生年月日:2008年6月3日
- 出身:福岡県北九州市小倉北区
- 北九州市立足立小学校
- 北九州市立足立中学校
→軟式野球部 - 横浜高等学校
→野球部3年「背番号1」 - 身長:185㎝
- 体重:72kg
- ポジション:投手
- 右投げ右打ち
「普通の小学生だった」と言われる織田翔希さん。
どのようにして強気な投手へと成長していったのか。
織田翔希さんの成長の裏には、小学生時代のコーチからの教えも大きく影響していると考えられます。
今回は、織田翔希さんの足立小学校時代について詳しくご紹介します。
未来のプロ候補とも言われる右腕のルーツを、一緒にたどってみましょう。
- 織田翔希は子供時代からすごかった?
- 織田翔希の小学時代のチームや実績は?

織田翔希さんの強気なピッチングのルーツは小学生時代にあると思うよ。
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織田翔希さんは、福岡県北九州市の足立小学校出身です。


住宅街と自然環境もあって住みやすい学区だよ。

北九州市からだいぶ離れてる横浜高校へ進学したんだもんね。
いつから野球を始めたの?
織田翔希さんは、小学1年生のとき「足立クラブ」という野球チームに入部しました。
3年生の頃からピッチングを始めて、ポジションは投手兼内野手でした。
家族や友人とも自然と野球を楽しんでいたといいます。
どんな小学生だった?
織田翔希さんは、活発で体を動かすのが大好きな小学生だったようです。
さらに当時、織田翔希さんの指導をしていた西晃功コーチは、
「言い訳をしない素直な子だった」
と語っています。
また、野球面では、
突出した力があったわけではない
普通の子で、他の小学生と変わらない
体の使い方がうまかった
コントロールが良かった
と振り返っていました。
「ほかの子どもと、実力はあんまり変わらないような普通の小学生でした。言い訳をしない素直な子でした。今の活躍を見て、すごいピッチャーになったと思います」
引用元:NHK
織田翔希さんの「言い訳をせず素直に受けとめられる長所」が、今の活躍や成長につながっているのだと思います。

言い訳をしない強さがあるんだね。
座右の銘は「自分に自信を持て」
織田翔希さんは、小学校の卒業文集に「自分に自信を持て」を座右の銘にしたいと書いています。
当時、指導していた西コーチは、織田翔希さんを見ていて、
自分に自信を持ててなかった
ヒットを打たれると弱気になってしまう
という印象があったそうです。
そんな織田翔希さんに伝えたのが「自分に自信を持て」。
「自分に自信を持て」
引用元:NHK
織田投手が持つ素質を見込んでいた西コーチは、バッターに立ち向かう強い気持ちさえ持てれば、さらに成長できると信じていたのです。
織田翔希さんは、高学年になってくると、球速スピードも速くなっていったそうです。
自信を持って強い気持ちになれば、投手として成長できると期待されていたのですね。

コーチに言われた言葉は、今に活きていると思うよ。
織田翔希は「北九州サンデー選抜レッドスターズ」に選出

織田翔希さんは、小学6年生のとき、チームの優勝に貢献しています。
2020年 北九州市学童プレミアム軟式野球大会「足立クラブ 優勝」
その実力が認められて、12歳で北九州サンデー選抜レッドスターズに選出されています。
地域では「球が速い子がいる」と有名になっていました。
以前は、コーチが「他の小学生と変わらなという印象」だった織田翔希さん。
6年生に成長する間に、ずば抜けた力を身につけていったのだと思われます。
織田翔希さんは、中学生になる頃には、すでに地域の有名人だったようです。
織田翔希さんの中学時代については、こちらで紹介しています。

小学生時代での成長もすごかったんだね。
まとめ
織田翔希さんは、当時は特別にずば抜けた存在ではなく、
「普通の小学生」でした。
ただ、素直で言い訳をしない性格や、
コーチからの「自分に自信を持て」という教えを胸に成長していきます。
6年生になると急成長をして、その頭角を現していきました。
小学生時代に培った素直さ・努力・強気な気持ちが、今の織田翔希投手の投球スタイルにつながっているのだと思います。
参考文献:球歴.com