元プロ野球選手で、ロッテで活躍した伊藤義弘さん。
2025年秋、伊藤義弘さんが、突然の事故でこの世を去りました。
伊藤義弘さんは、プロ野球引退後、母校・東福岡高校野球部の監督に就任。
しかし、2度の「謹慎処分」を受けたことが報じられています。
2021年7月
→選手への暴言により1ヵ月謹慎処分
2023年9月
→部内の不適切発言により翌年1月24日まで謹慎処分
どんな発言があったのか、詳しい内容は明らかにされていません。
ただ一方で、生徒の中には
「本当に真剣に向き合ってくれた先生だった」
と言う声もあります。
事故のニュースで、伊藤義弘さんが、特別支援学校の非常勤講師となっていたことが明らかになりました。
「東高校、辞めさせられたのかな」
「支援学校の先生になってたの?」
という声もあるなか、伊藤義弘さんの歩みをもう一度たどってみたいと思います。
- 伊藤義弘が監督時代に謹慎処分!暴言の真相は?
- 伊藤義弘は生徒にどう思われてた?
- 特別支援学校の講師をし、アカデミー開講に込めた思いは?
伊藤義弘さんの引退について詳しくはこちらで紹介しています。
伊藤義弘|東福岡高校野球部・監督時代の「謹慎」の真相は?

暴言や不適切発言って本当?
2020年、伊藤義弘さんは、母校・東福岡高校の野球部監督に就任しました。
伊藤義弘さんは、監督就任後、東福岡高校を13年ぶりの秋季九州大会出場へ導いています。
しかし、報道によると過去に2度、謹慎処分を受けたとされています。
【1回目】2021年7月
部員への暴言を理由に1か月の謹慎処分
元ロッテ投手の伊藤義弘監督(39)が選手への暴言で1カ月の謹慎となっている東福岡は7回コールドで快勝した。
引用元:日刊スポーツ
【2回目】2023年9月
不適切発言が問題となり、翌年1月24日までの謹慎処分
春2回、夏4回の甲子園出場の東福岡(福岡)は、部内での監督兼部長の不適切発言で来年1月24日までの謹慎処分。
引用元:日刊スポーツ
いずれも「どんな発言だったのか」との詳細は学校側から公表されていません。
SNSの投稿によると、生徒の不良行為を叱責したときに、暴言と表現される言葉があった可能性があるようです。

近年、高校野球の指導現場では、
「厳しい指導」と「ハラスメント」の線引きが厳しく問われるようになっています。
2度の謹慎処分となった事実は確かなので、生徒にとって良くない表現を言葉にしてしまったのだと思います。

指導するって難しいことだよね。
目指した恩師の姿とは?
伊藤義弘さんには、2人の尊敬する恩師がいます。
藤田雄一郎氏は、生徒に考えさせる指導法を実践していたそうです。
ボビー・バレンタイン氏は、絶対に怒らないで、一人一人とコミュニケーションをとってまとめていたそうです。
そんな2人の恩師を目指していた伊藤義弘さん。
気をつけなくてはいけないと分かってはいても、
実際の教育現場で向き合う中で、熱くなりすぎてしまったのかもしれません。

伊藤さん自身も身に染みていたかもしれないね。
伊藤義弘監督を恩師と呼ぶ声も

暴言や不適切発言を理由に謹慎処分もあった伊藤義弘さん。
SNSでは、生徒だったという方の投稿に注目が集まりました。
熱心で野球以外の礼儀をたくさん教えてもらった。
自分の恩師であり、監督が愛されていたことが嬉しいです。

伊藤義弘さんは、謹慎処分という事実はありましたが、生徒さんから“恩師”と呼ばれています。
報道だけを見ると不明な点が多いですが、こういった投稿があることは熱心に一人一人と向き合っていた証拠だと思います。

感謝している生徒さんがいるというのが分かってよかった。
伊藤義弘さんは、小学校時代からソフトボールチームに入り、野球を続けてきました。
根っからのスポーツマンとして、野球以外の礼儀や人として大切なものを生徒に伝えてきたのではないでしょうか。
「実はバスケがしたかった」伊藤義弘さんについて詳しくはこちらで紹介しています。
特別支援学校の臨時講師と野球塾アカデミー

監督は2025年夏まで
2025年夏まで監督をしていた伊藤義弘さんは、特別支援学校の非常勤講師として教育現場に立っていました。
ニュースでは、この肩書が紹介され、
「辞めさせられたのか」
「支援学校の先生になっていたのか」
という声も見られます。
しかし、“辞めさせられた”というよりも、監督生活を5年で一区切りとし、
新たな形で「子どもたちを育てる道」へ進んでいたと考えられます。
そして、伊藤義弘さんはもう一つの挑戦も始めていました。
2025年9月スポーツアカデミー開講
2025年9月、伊藤義弘さんは、スポーツアカデミーPitch+(ピッチプラス)を開講していました。
スローイング特化型の野球教室
遊びながら運動能力向上を目指す運動教室
この2つを組み合わせ、子どもたちが“体を動かすことを楽しめる場”を作ろうとしていたのです。
伊藤義弘さん自身の経験をもとに、子どもたちの投球フォームや肩の使い方を改善するために、築いた場所でした。
子どもたちがケガなく長く野球を楽しめるように。
そんな思いが、アカデミーの理念には込められていました。
その道半ばでの別れとなってしまったことが、
何よりも惜しく、胸が痛むばかりです。
まとめ
伊藤義弘さんの波乱もあった指導者人生。
しかし、そこに一貫していたのは“真剣に人と向き合う姿勢”だったように思います。
言葉が行き過ぎてしまったこともあったかもしれません。
そんな厳しさの中にあった温かさを、教え子さんたちは決して忘れないのではないでしょうか。
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