2011年春の選抜高校野球大会の優勝校・東海大学附属相模高校。
そのチームで主将を務めたのが佐藤大貢(ひろつぐ)さん。
実は、佐藤大貢さんは、俳優・柳葉敏郎さんの甥っ子(妹・信子さんの息子)でもあります。
父親は元バスケットボール選手で、運動神経の良さは父譲りとも言われています。
2025年現在、佐藤大貢さんは32歳になっています。
まだ野球選手として、引退はしていません。
高校卒業後の進路や社会人野球での活躍、そして現在の様子を知りたい方も多いのではないでしょうか。
今回は、佐藤大貢さんの経歴や現在について、わかりやすくまとめていきます。

- 佐藤大貢と柳葉家とどんな関係?
- 佐藤大貢の高校卒業後、現在の経歴は?
- 佐藤大貢の父親はバスケ選手だった!

佐藤大貢さんが社会人野球でがんばっていることも詳しく分かるよ。
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佐藤大貢は柳葉敏郎の甥っ子!主将で優勝
佐藤大貢さんは、柳葉敏郎の妹・信子さんの息子。
つまり、佐藤大貢さんは、柳葉敏郎さんの甥っ子なのです。

- 氏名:佐藤大貢(ひろつぐ)
- 出身:神奈川県
- 1993年度生まれ
(2025年現在:32歳) - 東海大静岡翔洋中学校
- 東海大学附属相模高校
→2011年春の選抜大会優勝
(主将を務める) - 2011年アジアAAA野球選手権日本代表
- 東海大学
(全日本大学野球選手権優勝) - ポジション:捕手
(右投げ/右打ち) - 身長:181㎝
- 体重:75kg
- 大学卒業後
→航空自衛隊千歳(社会人野球)
(2016年以降~2025年、都市対抗補強選手として北海道ガスに出場)

主将を務めて、優勝しているんだね!
佐藤大貢さんが、野球を始めたきっかけは、伯父の柳葉敏郎さんと5~6歳頃にキャッチボールをしたことだそうです。
野球好きな柳葉敏郎さんは、そんな甥っ子が成長して高校野球で活躍する姿を応援するのは嬉しかったでしょうね。
佐藤大貢さんは、柳葉敏郎さんから
「出るからには頂点をめざせ!」と言われて激励されていたそうです。
離れた秋田から、いつも見守られていた甥っ子の佐藤大貢さん。
柳葉敏郎さんについて、「いつも指導者目線なんだ」と語っています。
「『打撃は問題ないな。次も頑張れ』と言われた。いつも指導者目線なんですよ」と佐藤は笑った。伯父と同じ秋田県生まれ。11日の東日本大震災後、「東北の分も」という意識が芽生えた。
引用元:ドラフトレポート 佐藤大貢
2011年3月東日本大震災が起きた直後の大会で、中止になる可能性もありました。
そうした背景で、秋田に住む柳葉家の声援も大きな力になったのではないでしょうか。

住む場所は離れていても絆は強い関係なんだろうな。
その後、佐藤大貢さんは、「アジアAAA野球選手権」に日本代表としても参加しています。
佐藤大貢は東海大学へ進学

主将として全国優勝を果たした佐藤大貢さんは、東海大学へ進学しています。
大学野球では試合機会に恵まれない時期もあったようです。
2年春からリーグ戦に出場
4年春にスタメン9試合
(一塁手として7試合先発出場)
4年間で合計14試合に出場
(スタメン11試合)
佐藤大貢さんは、大学時代にタイトル獲得などの目立った実績は無かったようです。
しかし、野球を続ける中で経験を積んでいきました。
大学卒業後は、社会人野球の道へ進んでいます。

高校とは違った環境で、がんばっていたんだね。
佐藤大貢は社会人野球へ「航空自衛隊千歳」

航空自衛隊千歳に所属
佐藤大貢さんは、北海道の航空自衛隊千歳で社会人野球を続けています。
都市対抗野球大会において北海道ガスの補強選手として出場したこともあります。
2021年には初めて東京ドームでの都市対抗本戦に立ちました。

実はこれってすごいことなんだよ。
「補強選手」制度とは?
各地区の予選を勝ち抜いた代表チームが、
同じ地区の他チームから選手を補強できる特別ルールのこと。

ライバルチームだけど、「力を貸してください」ってことで補強できるんだね。
北海道では、北海道ガス、JR北海道クラブ、室蘭シャークスといった強いチームを倒さないと全国大会へ出場できません。
- 北海道ガスが全国大会に出場した際、
ライバルチームの佐藤大貢さんを補強選手として招いた。 - 「対戦相手から選ばれるほど実力を認められている」という意味で、とても名誉なこと。
佐藤はその先にある世界に触れ、強烈な印象を受けた。「北海道で1位を取っても、関東のチームとやるとこういう大差負けになってしまう。もっともっと上を目指してやらないと」と向上心を忘れない。今も熱く燃え盛る“相模魂”で次に目指すのは、もちろん自チームの青いユニホームでドームへ戻ってくることだ。
引用元:full-count
「勝ち抜かないと全国大会に行けない。」
プロ野球とは、一味ちがった面白さがあるのではないでしょうか。

上を目指す心意気は健在だね!
普段は整備士の任務
佐藤大貢さんは、普段は、航空機支援機材の整備をしています。
航空自衛隊千歳で任務を優先しながら、試合や大会に出場しています。
進んだ東海大では出場機会に恵まれず、航空自衛隊でプレーするようになって6年目。自チームは予選の壁に跳ね返されることが続いている。「北海道でなかなか自分のチームが勝ちあがれない中、ここに立たせていただいたことに感謝しています。基地の皆さんも背中を押してくれたので」。普段の活動はもちろん任務が最優先。佐藤も航空機支援機材の整備という職に就く。
引用元:full-count
佐藤大貢さんは、仕事仲間にも応援されながら、野球に励んでいるようです。

働きながら、好きな野球を続けているんだね。
今も野球を続ける原動力は?
佐藤大貢さんは、今の環境の中でもたくさんの刺激をもらいながら、野球を続けています。
選抜で優勝したチームメートの中には、プロ野球へ進んだ仲間もいます。
「自分の代には現役で活躍している選手も多いですし、個人的には続ける励みにしています。そして何より、東海大相模高校が選抜などでいい結果を出している。負けていられないという気持ちでやらせていただいています」
引用元:full-count
かつての仲間や母校の選手たちが活躍する姿を見て、負けてはいられないという刺激があるようです。
そうした刺激が、佐藤大貢さんが社会人野球を続けている原動力になっているのかもしれません。
佐藤大貢の父は「元バスケ日本代表選手」

佐藤大貢さんの父は、元バスケ日本代表選手の佐藤清美(きよみ)さんです。
現在、父・佐藤清美さんは、バスケットボールの指導者として貢献されています。
佐藤大貢さんの母・信子さんは、柳葉敏郎さんの妹です。
母・信子さんと父・佐藤清美さんの詳しい馴れ初めなどは、明らかにされていません。
しかし、母・信子さん(柳葉敏郎さんの妹)と、同郷の秋田県出身ということもあり、縁があった可能性もあると推測できます。

運動神経はお父さん譲りかな。スポーツ一家だね。
佐藤大貢と柳葉一路は従兄弟!どんな関係?

佐藤大貢さんと柳葉一路さん(柳葉敏郎の息子)は、従兄弟関係です。
- 「ひろにい」と呼ばれている
- お正月や秋田のお祭りで年に数回会う
2025年現在のプロフィールを比較表でまとめました。
佐藤大貢 | 柳葉一路 |
---|---|
1993年生まれ(32歳) | 2008年度生まれ(17歳) |
神奈川県 | 秋田県 |
身長:181㎝ | 身長:166㎝ |
東海大学附属相模高校 野球部・主将 | 盛岡大学附属高校 野球部・主将 |
捕手 | 内野手 |
佐藤大貢さんは、柳葉一路さんより15歳年上です。
佐藤大貢さんが、東海大相模の主将として優勝したとき、柳葉一路さんはまだ3歳。

きっとお父さんの敏郎さんと一緒に応援してただろうね。
センバツで優勝する前の年(2010年)の夏に甲子園で準優勝して、そのメダルを『この色はいらない』と言って、自分の家(柳葉家)に置いていったそうなんです。その翌年の春のセンバツで本当に金メダルを取っていたので、すごいなって思いました。準優勝のメダルは今もうちにあります
引用元:Yahoo!Japanニュース
2010年夏の甲子園大会、東海大相模高校は惜しくも準優勝でした。
準優勝も素晴らしいことですが、その上を目指して秋田の柳葉家に銀メダルを置いていったエピソードは、印象的ですよね。

柳葉一路さんにとって、佐藤大貢さんは偉大な「兄」なんだろうな。
そうして野球に打ち込むいとこの兄の背中を見た柳葉一路さん。
柳葉一路さんは、従兄弟のお兄さんである佐藤大貢さんを「尊敬している」と語っています。
佐藤大貢さんが、進路に悩んだ柳葉一路さんに
「寮生活をしてデメリットだったことは本当になかった」
と話したことも、一路さんが盛岡大附高校へ行く決め手の一つでした。
そのいとこから『寮生活をしてデメリットだったことは本当になかった』と聞いていて。じゃあ、あとは自分が気持ちの面で強くなれば、自立できるだろうなと考えたので、それも決め手の1つです
引用元:Yahoo!Japanニュース

心強い言葉だっただろうね。
2025年の秋、柳葉敏郎さんの息子・一路さんも盛岡大附属高校野球部で主将を務めることとなりました。
野球好きとして知られる柳葉敏郎さん。
甥っ子に続き息子までもが強豪校で主将を務めるというのは、まさに誇らしく感じられているのではないでしょうか。
柳葉敏郎さんの息子・一路さんについて詳しくはこちらをご覧ください。