2025年のドラフト候補として注目を集めている、健大高崎高校の石垣元気さん。
両打で、158キロの速球を投げる右腕投手。
そんな石垣元気さんの中学時代は、素行が話題になるほどやんちゃで、よく叱られていたそうです。
一体どんな中学時代を過ごしていたのでしょうか?
石垣元気さんのプロフィールをまとめました。
- 生年月日:
2007年8月16日 - 出身:
北海道登別市 - 学歴:
登別市立幌別西小学校
(柏木ジュニアーズ)
登別市立西陵中学校
(洞爺湖リトルシニア)
健大高崎高校(群馬県)
→2025年現在:高校3年生 - 身長体重:
178cm/78kg - ポジション:
投手
中学時代に縁があり、北海道から群馬県の強豪・健大高崎高校へと進学した石垣元気さん。
今回は、石垣元気さんのやんちゃだった中学時代に迫ります。
- 石垣元気の素行や性格は?やんちゃだった?
- 石垣元気の小・中学校時代のチームは?
- 石垣元気の中学時代の成績は?
石垣元気の素行は?やんちゃって本当?

石垣元気さんの素行は、気が強くて感情がすぐ態度に出てしまう子だったようです。
中学時代に指導してくれていた若松監督は、
「たくさん叱った記憶ばかり」と話しています。

やんちゃというのは本当みたいだね。

どんなエピソードがあるんだろう。
鳥のフン事件

石垣元気さんは、中学時代の野球チーム・洞爺湖リトルシニアをクビになりかけています。
入団当初の石垣元気さんは、
チームメイトのグローブに鳥のフンをつけるイタズラをしてしまった…。
このことを知った石垣元気さんのお父さんは激怒。
石垣元気さんのお母さんも、コーチに「もう辞めさせます。」と連絡を入れたそうです。
グローブは、野球選手にとって愛着のある大事な道具ですよね。
被害を受けた子はきっとすごく悲しかったと思います。

これは、行き過ぎた“素行”だったかもしれないね。
そんな中、チームの若松監督は、泣いて「野球を続けたい」とお願いしてきた石垣元気さんを復帰させたといいます。
ただ翌朝になり、元気が『お母さん、もう(監督に)辞めるって言っちゃった?』と聞いてきたそうなんです。そこで『まだ完全に辞めますとは言ってないよ』と言うと、『やっぱり俺、野球を続けたい』と泣いてお願いしてきたみたいで。被害を受けた子にも、元気は何回も謝っているので、それならもう一度ウチで頑張らせてみようということで復帰させたんです
引用元:現代メディア
小学校卒業後で、まだ子供っぽさが残っていた時代の出来事だったと思います。

「悪いことをしちゃった」と反省できる経験も大事だよね。
ご両親にもしっかり叱られた石垣元気さん。
石川元気さんの家族構成や兄弟について詳しくは、こちらで紹介しています。
謹慎処分

石垣元気さんは、中学3年生のとき謹慎処分になっています。
ジャイアンツカップの時、
相手チームに打ち込まれてしまい、不貞腐れてしまっていた…
中学3年生の石垣元気さんは、打ち込まれた回の守備が終わり、ミーティングをしてる中、勝手にベンチに座っていたそうです。

まだ次の回がある状況だからね。
若松監督は、その態度の悪さに対して、謹慎処分として、しばらく試合に出場させませんでした。
まあその後は、ブチギレですよ。『お前、一人で野球してるんじゃないんだぞ。これから(失点を)取り返そうと頑張るのに、なんだその態度は! もう背番号外してこい!』と怒鳴りました。それからしばらくは、謹慎処分です。地元でやる大会も、背番号1のユニフォームのまま、スタンドで応援させました。
引用元:現代メディア

これから点を取り返そうって気持ち大事だよね。
石垣元気さんは、“素行が悪い”というより“感情表現がストレート”な性格だったことが分かります。
スタンドから、仲間が試合をする姿を見ることで、
「一人じゃなくて、チームで野球をやっている」
ということを学ぶ機会になったのではないかと思います。

若松監督は、こうしたメンタル面も指導してくれたんだね。
主将になる!

石垣元気さんは、中学3年生のとき主将を務めています。
やんちゃな面もありましたが、チームメイトから好かれていました。
石垣元気さんの謹慎処分を経て、
若松監督は、3年生を集めて「石垣元気さんについてどう思うか」を聞きました。
「元気と一緒にやりたいです!」
と全員が答えたそうです。
この出来事をきっかけに、『元気はああいう態度をとるけど、これだけみんなに信頼されているなら……』と考えて、あえて元気をキャプテンに任命したんです
引用元:現代メディア
若松監督は、石垣元気さんの感情が態度に出てしまうところなどを心配していたようです。
しかし、石垣元気さんは、周りに好かれていて、主将としてみんなを引っ張る存在になれたのだと思います。

若松監督は、やんちゃな元気さんに丁寧に向き合ってきた様子が素敵だね。
石垣元気は小・中学時代どこのチーム?
西陵中学時代は洞爺湖リトルシニア!

石垣元気さんは、北海道の登別市出身です。
出身の小・中学校は隣同士で、海の近くの地域に位置しています。
登別市立幌別西小学校
登別市立西陵中学校



北海道の海沿いだから、冬はすごく寒そうだね!
石垣元気さんは、小学校1年生から柏木ジュニアーズに所属していました。
きっかけは、体験練習が楽しかったこと。
小学生時代から、投手としてスピードのある球を投げていたそうです。
洞爺湖リトルシニアで硬式野球!
石垣元気さんは、硬式野球チーム・洞爺湖リトルシニアに所属していました。

お父さんが、自宅から車で片道1時間かかる距離を送迎してくれていたそうです。

往復2時間だね?!
お父さんのサポートありがたいよね。
石垣元気|中学時代の守備や実績は?

当初は内野手!
石垣元気さんは、洞爺湖リトルシニア当初は、内野手として起用されていました。
入部当初の石垣元気さんの特徴をまとめました。
- 体は細かった
- 肩が強い
- 足が速い
- バッティングセンス良い
- コントロールが良くなかった
石垣元気さんは、肩が強くて足も速くて群を抜いていたそうですが、コントロールが悪かったようです。
そのため、石垣元気さんは投手ではなく、内野手として試合に出ていました。
ピッチャーとして一人立ちさせるのは苦労しました。もともと肩が強く、球も速かったのですが、まあコントロールが悪くて……。一年生同士の練習試合を見ていても、ストライクが入らないので、それからはマンツーマンで指導する日々。僕のほうでアドバイスして、それで投げさせての繰り返しでした
引用元:現代メディア

コントロールを特訓していったんだね。
中学時代の最高球速141km!

石垣元気さんは、中学3年生で最高球速141kmを記録しています。
最高球速141km
(中学生投手の平均球速→110~120km)
中学生で、球速140kmのスピードで投げれる投手はなかなかいません。

中学生でこんな速い球を投げていたなんでびっくり!
沖縄遠征でスカウト!
石垣元気さんは、北海道の選抜メンバーにも選ばれています。
中学2年生
→北海道連盟選抜へ
中学3年生
→久米島メモリアルカップ(沖縄遠征)
北海道選抜メンバーで出場
中学3年生になった石垣は、当時の北海道シニア全チームの中で最速となる141キロを記録。さらに北海道選抜に選出されるなど、「怪物」の片鱗を見せる。
引用元:現代メディア
石垣元気さんの沖縄遠征での活躍を健大高崎の監督が見ていました。
そうして、石垣元気さんは、縁があり、健大高崎高校へ進学しています。

やんちゃな面もあるだけど、主将も務めて、すごく成長したんだね。
まとめ
石垣元気さんの素行は、単なる“悪さ”ではなく、感情表現が豊かでまっすぐな性格から来るものでした。
やんちゃな中学時代を経て、仲間に信頼される主将へと成長。
その経験が現在の健大高崎高校での活躍につながっています。
今後のドラフトでの飛躍にも注目です。
