横浜高校の新エースとして注目を集める 織田翔希投手。
球速150kmを超えるストレートと安定した制球力で「佐々木朗希2世」とも呼ばれる逸材です。
足立小学校卒業後、織田翔希さんが選んだのは
北九州市立足立中学校の軟式野球部時代でした。
中学3年間で数々の実績を残し、全国大会でも活躍。
さらに、運命的な出会いから名門・横浜高校へ進学を決めました。
今回は、織田翔希投手の足立中学校時代の成績やプレースタイル、横浜高校を選んだ理由について詳しくご紹介します。
- 織田翔希はなぜ軟式野球部へ?
- 中学時代の実績は?
- 織田翔希が横浜高校を選んだ理由とは?

織田翔希さんが中学軟式で野球をしたことは正解だったと思うよ。
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織田翔希さんは、北九州市立足立中学校の軟式野球部へ進みました。

なぜ軟式野球部へ
織田翔希さんは、怪我のリスクを避けるために軟式を選びました。
背が高く細身
成長期の体に負担の少ない軟式へ
織田翔希さんの身長は、
中学1年→165㎝
高校1年→185㎝
3年間で約20㎝伸びています。
小学生の頃から、もともと背が高かった織田翔希さん。
織田翔希さんの小学生時代について詳しくはこちらで紹介しています。

織田翔希さんは、長身で細身な体で速い球を投げるので、怪我のリスクが高いと考えられました。
進路を考える上で、実力のある選手は、中学で硬式野球チームに進むケースも少なくないです。
しかし、織田翔希さんは、中学時代の成長期に、自分の体を第一に考えて軟式野球を選択したようです。

自分の体に合わせて中学軟式を選んでよかったかもしれないね。
1年生春からベンチ入り/成績は?

織田翔希さんは、足立中学軟式野球部・1年生の春にベンチ入りをしています。
ポジション
→投手兼一塁手、遊撃手
足立中学時代の成績をまとめました。
- 1年生
秋季全日本少年軟式野球福岡県大会ベスト8 - 福岡県中学校新人軟式野球大会ベスト4
- 3年生
第40回全日本少年軟式野球北九州地区大会優勝
→最優秀選手賞受賞 - 第48回九州中学校軟式野球競技大会第3位
- 第46回全国中学校軟式野球大会ベスト16
2試合の成績
→球速143km/hを記録
(防御率:約3.18)
→打率約4.29を記録
織田翔希さんは、中学3年生から本格的に投手へ転向します。
しかし、エース投手としてだけでなく、4番打者としても好成績を残しています。

投げて打ってチームを引っ張っていたんだね。
どんな投手?
織田翔希さんは、長身のバランスを活かした柔軟なフォームを軟式野球で身につけました。
速球と投球フォームが似ていて、「佐々木朗希2世」とも言われていた織田翔希さん。
速球中心
変化球はスライダーとカーブ
140km/h以上の速球に変化球を混ぜながら、コントロールの安定した投球が強みです。
織田翔希さんは、インタビューからも、制球を乱さないよう意識をしていることが伺えました。
ただ、大きく記憶に残っているのは「スピードにはこだわらないのか」の問いに、「スピードを追い求めるよりも制球がよければ、打たれません」という「大人の回答」だった。
引用元:西スポWEB
織田翔希さんは、中学軟式野球を選び、自分の体型に合ったフォームを身につけられました。
そして、強みである制球力を安定させてきたのだと思います。

中学時代に存在感がますます大きくなったんだね。
なぜ織田翔希は横浜高校へ?

村田監督(横浜高校)との出会い
織田翔希さんは、中学時代に村田監督と出会います。
<2023年の神奈川大会決勝>
横浜高校は慶応大学に敗退
村田監督は、ご自身のリセットのために九州旅行へ行きました。
そのとき、地元の方から「凄い選手がいる」という話を聞いて、織田翔希さんを知ったそうです。
これが織田翔希さんと村田監督が出会うきっかけとなりました。

九州旅行へ行ったの大正解だったね。
決め手は?
織田翔希さんは、なぜ横浜高校へ進んだのでしょうか?
見学に行ったとき
グラウンドにゴミ一つ落ちていなかった
選手たちのあいさつが素晴らしかった
織田翔希さんは、村田監督のスカウトを受けて、横浜高校へ足を運んだと考えられます。
そこで「人として成長できると確信できたこと」が、決め手になったようです。

大谷翔平選手もグラウンドのゴミ拾ってるよね。

一流選手こそ、技術だけじゃない、人となりがしっかりしてるもんね。
進路を遠く横浜に選んだ理由について、言った。「見学に行った時、グラウンドにゴミ一つ落ちていなくて。選手たちからのあいさつが、素晴らしくて」。人間として成長できると確信し、故郷を出た。
引用元:スポーツ報知
まとめ
織田翔希投手は、足立中学校の軟式野球部で頭角を現していました。
怪我のリスクを避けるためにあえて軟式を選んだことも正解だったように思います。
そして、中学時代に村田監督と出会い、横浜高校の環境に触れたことで人生が動いていったのですね。
今後は横浜高校のエースとして、そして将来にも大きな飛躍を期待しています。