息子の柳葉一路さんが盛岡大附高校野球部の主将となった俳優の柳葉敏郎さん。
そんな柳葉敏郎さんを検索すると、「離婚」というワードが出てきます。
しかし、柳葉敏郎さんに離婚歴はありません。
1997年に結婚して子供が2人います。
妻、長女(さくら)、長男(一路)
ただ、柳葉敏郎さんのご両親は「離婚」されています。
そして、柳葉敏郎さんには、兄弟が2人います。
1つ年下の「妹」信子さん
59歳で初めて知った「姉」ひとみさん
この背景には、父親の離婚歴や母親の再婚による生い立ちがありました。
実の父親:山田四郎
(2度目の結婚)
母親:和子
(山田四郎と離婚/数年後に再婚して柳葉姓へ)
まず、生い立ちを時系列でまとめました。

NHKで放送した「ファミリーヒストリー」をきっかけにお姉さんと再会できたんだよ。
年代 | 出来事 |
---|---|
昭和初期 | 父・山田四郎 映画館の看板絵師として活動。 |
1957年~1959年頃 | 父・山田四郎、最初の妻と結婚 → 娘誕生 (柳葉敏郎の異母姉「ひとみさん」) その後、離婚 |
1961年 | 父・四郎、母・和子と結婚 →柳葉敏郎の誕生 (翌年に妹・信子の誕生) |
1966年 | 父・四郎、母・和子が離婚 (柳葉敏郎 5歳) |
1969年 | 父・四郎が38歳で脳出血により他界 (柳葉敏郎 8歳) |
その後 | 母・和子 →教師として働きながら子供を育てる。 数年後に再婚し「柳葉姓」になる。 |
2020年 | NHK「ファミリーヒストリー」で、59歳にして父の過去と姉(ひとみさん)の存在を知る。 |
2020年放送後 | 柳葉敏郎、異母の姉と初対面。 厚子さん(父の姪)と姉・ひとみさんが再会。 |
次に、家系図で分かりやすくまとめました。

柳葉敏郎さんは、お姉さんがいたことを喜んでいます。
今回は、柳葉敏郎さんの父親と母親の関係、知らなかった姉と再会についても詳しくご紹介します。
- 柳葉敏郎の父親は画家!2度の結婚と離婚後は?
- 柳葉敏郎の母親は小学校教師!祖母に子供を預けてた?
- 柳葉敏郎の59歳で知った姉との再会は?

両親の離婚後に預けられた「おばあちゃんの存在」も大きいよ。
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柳葉敏郎の父親は画家!結婚と離婚

- 1931年(昭和6年)生まれ
- 出身:秋田県秋田市
- 実家:大工業
- 8人兄弟の4男
- 子供時代:工作や絵を描くことが得意
父親は画家|2度の結婚
柳葉敏郎さんの父親・山田四郎さんは、画家でした。
映画館の看板を描く「看板絵師」
菓子屋の包装紙のデザインを請け負う
県の美術展覧会で4度も入選するほどの才能を持ち、自由な生き方をしていたといいます。
そんな柳葉敏郎さんの父親・山田四郎さんは、2度結婚しています。
最初の結婚は金銭的な問題で長く続きませんでした。
娘(後の柳葉敏郎さんの姉・ひとみさん)が生まれた後に離婚しています。
その後、1961年に和子さん(柳葉敏郎さんの母親)と再婚しました。
しかし、父親の山田四郎さんは、一度も家庭に生活費を入れたことがなかったのです。
そのため、結婚生活5年で、母親・和子さんとも離婚しています。

画家の才能はあったけど、現実的には難しかったそうだよ。
脳出血で他界|離れていた父は…
1969年、柳葉敏郎さんが8歳のとき、父親・山田四郎さんは、38歳という若さで脳出血で他界しています。
実は、離婚後、和子さんの妹さんが父・四郎さんに頼まれて、成長する息子や娘の写真を渡していたそうです。

母親の和子さんには内緒だったみたい。
離れて暮らしていても、子どもたちのことはずっと気にかけていたのだろうと思います。
火葬場で棺に火をつけるのは8歳の柳葉敏郎さんだったようです。

つらかっただろうね。
柳葉敏郎さんは、のちにこう語っています。
僕は小学校3年生の時に親父を亡くしているので、親父にしてもらいたかったことを子供たちにしてあげたい。
引用元:スポニチ
柳葉敏郎さんにとって、子どもの頃の複雑な経験は、自分の子供への愛情となっているのかもしれないですね。
柳葉敏郎の母親は小学校教師!

- 1935年(昭和10年)生まれ
- 出身:秋田県仙北郡刈和野町
(現在の大仙市) - 実家:「佐々木」
- 6人兄弟の長女
- 秋田大学卒業
- 職業:小学校の教師
小学校教師になる
柳葉敏郎さんの母親・和子さんは、小学校の教師を務めていました。
和子さんの母・絹さん(柳葉敏郎さんの祖母)は、
「男に負けないように稼ぐために、教師になってほしい」
と言っていました。
そして、和子さんは、秋田大学に入学して、奨学金を返さなくてもいいという条件で、小学校教師となったそうです。

昭和当時だと、女性で教師という職業はすごいことだったと思うよ。
離婚後、実家へ戻る
柳葉敏郎さんの母親・和子さんは、夫の四郎さんと別居し、子供を連れて実家へ戻ることになりました。
和子さんは教師の仕事に専念せざるを得ませんでした。
柳葉敏郎さんは、実家の祖母と弟夫婦に預けられる時期もありました。
柳葉敏郎さんの祖父(和子さんの父)は、海軍兵曹長だったが、戦後は、地元で仕事がなく東京へ出稼ぎで自宅を空けることが多かった。

お母さんのがんばりを感じて育ったんだろうな。

おばあちゃんもすごく大事に育ててくれたみたいだよ。
18歳で上京を決意したものの、当時は母や周囲が猛反対。「でも、ばあちゃんがね、こいつが自分の人生をこうやって決めるのは初めてじゃないか。だから、行かせてやれば」と後押ししてくれたという。
引用元:スポニチ
柳葉敏郎さんの祖母は、孫である敏郎さんを深い愛情で育ててくれたそうです。
厳しくもあり、優しくもある。
家族として、支えてくれた祖母への思いは大きいだろうなと思います。
再婚「柳葉姓」へ
数年後、柳葉敏郎さんの母親・和子さんは再婚しました。
このとき、柳葉敏郎さんの名字が「柳葉」となりました。
継父について詳しい情報は公表されていません。
ただ、柳葉の姓でデビューし、結婚して家庭を築き、いまや「柳葉敏郎」という名前は誰もが知るものになりました。
この「柳葉」という姓は、本人にとっても家族との絆を象徴する大切な名前となっているのではないでしょうか。

柳葉敏郎さんって、家族思いなイメージがあるよね。
柳葉敏郎は59歳で姉の再会
柳葉敏郎さんは、59歳の時に「姉・ひとみさん」の存在を初めて知りました。

父親のことを知らずに育った
柳葉敏郎さんも、姉・ひとみさんも、父親・四郎さんのことをほとんど知らずに育っています。
柳葉敏郎さん
→5歳で両親が離婚、8歳で父・四郎さん他界
姉・ひとみさん
→生後まもなく両親が離婚
柳葉敏郎さんは、幼い頃に両親が離婚しています。
父親の過去も、姉の存在すら知りませんでした。
そこで、NHKファミリーヒストリーの取材を通して、父親のことを調べていくと、姉がいることを59歳で初めて知ったのです。
父は、母と結婚する前に別の女性と結婚していたことが分かった。そして、会ったことがない、姉がいることも知る。衝撃の事実に驚く敏郎。涙を流し、姉弟が増えたことを喜んだ。
引用元:NHKファミリーヒストリー
柳葉敏郎さんは、両親の離婚後、母・和子さんの実家で暮らし、母は働くために、祖母や叔父夫婦に預けられていました。
そんな生い立ちの中でも、愛情深く育てられたそうです。
「姉がいた」という喜びを感じられるというのは素敵なことですよね。

柳葉敏郎さんにとって家族が増えたことがすごく嬉しかったんだね。
姉も探していた?
姉・ひとみさんの母親は、離婚後に別の男性と再婚しています。
ひとみさんは、育ててくれた父を本当の父親だと思ってきたそうです。
実の父親のことは気になっていたそうですが、育ての父にとても大切に育ててもらったため、胸に秘めていたそうです。
姉は、育ての父親が亡くなった後、実の父親のことを知りたいと思い、秋田で父と同じ名字に手当たり次第に電話し、消息を探したが、手がかりはなく、今回の取材で初めて父のその後が分かるとともに、弟が柳葉であることを知り、驚くのだった。
引用元:デイリースポーツ
実の父・山田四郎さんのことを捜していた姉・ひとみさん。
取材で伺ったときに、
「私を捜してくれている人がいるんですか?」
という言葉があったそうです。

運命のめぐり合わせなんだね。
ファミリーヒストリーで再会
柳葉敏郎さんと姉・ひとみさんは、父親・山田四郎さんのお墓参りで再会します。
再会といっても、初対面ですよね。
ただ、血のつながりが再びつながるという意味では、再会という言葉が合うかもしれません。
もう一人、ひとみさんが赤ちゃんの頃に一緒に住んでいた厚子さん(四郎の姪)も一緒に。
複雑な生い立ちを経て、果たした再会。
そこには家族の絆の尊さがあり、多くの人の心を揺さぶりました。

柳葉敏郎さんの家族思いな人柄が伝わるよね。
柳葉敏郎さんの「離婚」という噂の背景には、父母の離婚や再婚、そして知らなかった姉の存在がありました。
複雑な生い立ちを越えて結ばれた絆は、かけがえのないものになっていると思います。